江戸時代

江戸時代と東京の地図など

江戸時代と東京の地図など


入り鉄砲に出おんな

俗に入り鉄砲に出おんなといわれますが、これは徳川幕府の内情がそれほど穏やかではなかったということを示していると思います。


大名には親藩(徳川の血筋の大名)、譜代(関ヶ原の戦い以前から徳川方だった大名)、外様(関ヶ原の戦い以後徳川の臣下になった大名)と大きく三種類あります。


新藩や譜代というのは、あまり領地が広くありません。ですから、反乱を起こすことはまず不可能だといえたわけです。


問題は外様大名ですね。


加賀百万石といわれるように、大変生産性の高い領地をもち、かつ領地も広い藩です。このような藩は関ヶ原以前は豊臣方であった大名が大半です。


ですから、江戸と大阪という幕府の直轄地からは遠いところに封ぜられたわけです。


そしてかつ、国力を衰退させるために、参勤交代を課しましたから、外様大名はかなり財政的にもきつかったはずです。


そんな大名の中には反乱を企てるものも多かったのでしょう。


反乱を企てるためにはまずそのための道具を江戸に搬入します。


ですから、江戸に入ってくる鉄砲には幕府は神経を尖らせていたわけです。


そして、人質として妻子を江戸に滞在させましたから、その妻子たちが江戸を出て国に帰ろうとすることがあっては一大問題だったのです。


いっけん幕府の権威のもとで戦国の世も治まったかと思われますが、内情はそうでもなかったようです。


ですから、三代将軍家光のあとは、幕府は下り坂のいっぽうだったともいわれるゆえんです。


もっとも「出女」のほうは、幕末にはかなり緩和されました。これも幕府の権力の衰退をあらわしていますね。